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小さくして強くなった [book]

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世田谷に来る前の20年余り、関西から上京してきた僕は横浜に住んでいた。

その頃、会社の先輩が旨いハンバーグレストランがあるので連れて行ってやる

と言う事で行ったのがハングリータイガーだった。


ハングリータイガーは横浜の人なら知らない人が居ないと言われるほどの人気店で

行くといつも行列で、一度としてすんなり席まで案内されたことがない。

まあ、行くタイミングも問題もあったのだろうけれど、僕が行ったときは全て待ちの状態で

それほどの人気店だった。


ハングリータイガーの最大の売りであり特徴は、俵型のハンバーグとそのサービス法で

ガラス張りのアメリカンスタイルのグリルコーナーでハンバーグの周囲をじっくりと焼き

その後に熱々の鉄板の上に乗せられてやってくる。

お客の目の前で俵型のハンバーグを縦割りに切り、中の生焼け部分を鉄板の余熱で

火を通しつつ、その上に特性のグレービーソースをかける。

このときに、熱々の鉄板でソースが跳ねるので、ナプキンを持ち上げて自分に跳ねが来て

服を汚さないよう避けるにするという、ある意味独特のサービス法がハンバーグを食べる前の

客のワクワク感を盛り上げる演出。今ではマネをしている店を他でもチラホラ見かけるが

このサービス法を日本で最初に行ったのが、ハングリータイガーだ。


先日、書店に行ったときに、たまたまハングリータイガーの文字が目に入り

中身もろくに見ずに買ってきてしまった。ハンバーグ好きもココまで来ると重症かもwww

しかし、この本、読み始めると、なんとも悲惨・・・

ハングリータイガー苦難の20年が書かれているのだ。

バブルそして店舗拡大、システム化から株式上場を目指す。

そして、上場を目前にO-157(病原性大腸菌)による食中毒事件。

その後に、最近まで問題になっていたBSE(狂牛病)問題・・・


確かに、当時O-157はとても話題になった記憶があるけれど、

ハングリータイガーでこれによる食中毒が出てたなんて全く知らなかった。

そして、BSE・・・

確かに一時、牛肉を全く口にしない時期もあったな・・・

これによって経営危機に陥り、一時は廃業まで行きそうになったとは全く知らなかった。

確かに店舗数が少なくなって、あそこにあったハングリータイガー閉店したんだ・・・

って言うのもあったけれど、チェーン店なら出店もあれば閉店もよくあることなので、

僕自身はあまり気にしてなかった。

けれど、本によると20店舗以上あった店を最終的には生き残るために3店にまで

縮小したそうで、そんな事態になっていたなんて全く気付かなかった。

そして、生き残りに成功したハングリータイガーの4号店となる新店舗は

比較的に近所だったこともあって、世田谷に来る前までよく利用してた。


新店は、昔と変わらぬ味とサービス、それに加えて、ちょっとオシャレで高級チックな店舗が

今の時代にマッチして、なかなか居心地の良い店になっているなと思った。

でも、苦難の末の復活1号店であるなんてことは全く知らず、昔から変わらない

ハングリータイガーの店が近所にも出来たって思った程度だった。


この本を読んでいると、何度もの危機に立ち向かい、諦めることなくギリギリまで

その問題に真正面から向きあってきたハングリータイガーの経営者の姿が記されている。

年のせいか、読んでいて幾度か涙しそうになってしまった一冊だった。


ハングリータイガー http://www.hungrytiger.co.jp/

小さくして強くなった こうしてハングリータイガーは生まれ変わった

中田有紀子著 出版:エフビー ¥1,575


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